復活

23日の日曜日はPasqua(パスクワ)復活祭でした。日本ではあまり馴染みがないこのお祭りですがキリスト教の中では重要だそうです。イエスが十字架にかけられて亡くなった3日後に復活したという説です。宗教上の詳しい事は分かりませんがこの復活という言葉は私は好きです。不死鳥というか不死身というのか...
自分の事もう少し説明しなきゃと思っていたのですがなかなかうまく伝えられなくて....
でもこの復活祭にちなんで書いてみようと思っています。

2001年8月22日、何年かぶりに大型台風が東京に直撃するので朝から大雨風が吹いていた。しかし昼過ぎに台風は東京直撃を避け千葉方面にそれた。雨風のお陰で東京の空気は澄み切り茜色の夕焼けが息をのむような美しさだった。誰もが空を見上げたという。
その茜色に染まった東京の病院の一室で私の最愛の主人は逝った。
私は33歳で未亡人となった。
私の旦那様は私より20歳年上の彫刻家。石の抽象彫刻を専門としていた「知る人ぞ知る」人であった。
彼はその事に満足していた。「分かる人だけが分かってくれたらいい」もしかしたら芸術とはそういうものかもしれない。
私は彼を心の底から尊敬していた。人間として芸術家として。
私たちの結婚生活は3年間。私が結婚したのは30歳のとき。でもこの3年間はそれまで生きてきた30年間と同じくらいの重さがある。
彼は東京生まれの東京育ちであるが美術大学を卒業して1974年に大理石の産地イタリアのカッラーラに渡る。そこで彫刻家としての土台を作った。
その後活動の場を日本にも設け友人の建築家の先生と一緒に彫刻のある町づくり都市再開発なども手がけた。
私と結婚するとき「僕を知るにはイタリアをカッラーラを知ってもらわないと」といって私をイタリアにカッラーラに連れてきた。もちろん私たちの結婚生活の拠点は東京にあった。でもカッラーラにも彼は小さな家を持っていた。夏のバカンスとして2000年私たちは訪れた。彼は私に全て伝授した。彼のお友達、彼の好きな秘密の場所、彼の考え方...
2001年夏、彼は全てを私に遺してそして逝った。享年53歳であった。

それから7年が経とうとしている今、私はカッラーラに住んでいる。
2004年4月、偶然的に新聞の競売の欄で見た一つの家付きの土地を見に行く。
そこは亡夫が愛した大理石の山並みが一望できるパノラマ付きの場所だった。
そして庭には桜が咲いていた。
「天国ってこんなところかな?」「ここに彼の作品を展示したらきっと喜ぶだろうな」
直感的にそう感じた。イタリアに土地を買うなんて考えもしなかったけどその場所を見て興味が湧き競売に参加した。そして私が勝った。

あれから4年間、庭の整備、家の設計、建築許可、工事着工、大工とのやり取り、、、
いろんな事があったけどがんばって来れたのはこの家に日本から亡夫の彫刻を持ってきて庭園美術館のようにする。という信念があったから。そしてカッラーラというまだ名も知られていないイタリアの街を日本の方にも知ってもらいたいし来て頂きたい、その為にも寝泊まりできるところをという気持ちで客室を作って家を設計した。
若いアーティストの方達に発表の場を与えられればと思い展覧会が出来るサロンも作った家がもうすぐ完成する。

ここまでくるのに日本の家族や友人の支え、イタリア人の友人の献身的な支えと助け、どれだけの人に支えられて助けてもらっただろう?決して一人の力ではない。
そしてこの家の完成オープンと同時に私も復活する。
亡き夫が愛した大理石の山があるこのカッラーラで。
この家を建ててる間もとても精神的にリハビリになった。
新しい環境で新しい価値観の中で自分を鍛える事が出来たと思う。
これからもいろんな事が起きると思う。
でも笑いながら苦労を吹き飛ばして不死鳥のように生きていきたい。    
# by galleriaarsapua | 2008-03-24 19:29 | 自己紹介、カッラーラへの道 | Comments(26)

リンダと仔猫

仔猫が来て今日で5日目。4夜眠った事になる。最初の日は私のベッドで一緒に寝たが後は一人で寝ているなかなか強い子です。リンダは2日目の夜、家に入らないので寒夜空の下、私は一生懸命リンダを説得した。なぜ仔猫を飼ったのか?リンダにとってこの子がどんなに大切なのか?を。(一応つたないイタリア語で)分かったのか分からないのかは分からないがリンダはなんとか家に入ってくれた。でも仔猫に対してかわいがっているのかいじめているのか分からない。後ろから抱きついて首をかんだり手と足で羽交い締めしていたり...仔猫はすぐ「ニャー」と泣くので私は怒った。そして仔猫を抱き上げていたらリンダはおとなしくいすの上で眠りだした。私が仔猫をリンダに近づけると初めて仔猫を抱きしめてぺろぺろなめだす。リンダと仔猫_d0136540_1561390.jpg
こんな感じで抱きしめて。仔猫も黙っておとなしくしている。


リンダと仔猫_d0136540_1592756.jpg
二匹ともこっちを向いてー


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ハイ、ポーズ!
# by galleriaarsapua | 2008-03-22 02:05 | 猫、動物 | Comments(2)

最後の鉄柵

最後の鉄柵_d0136540_44213.jpg右端から左端までテラスの鉄柵は21組必要でした。


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今日最後の鉄柵(ultima ringhiera)を取り付けました。地下に仕事場を急遽つくってこもって鉄柵作りをしてくれたオリヴィエロ、ありがとう、そしておつかれさま。
私にはまだ錆び防止のペンキを塗る仕事が残ってますがなんとかテラスも出来上がり。
完成オープンに向けて後一息です。
# by galleriaarsapua | 2008-03-20 05:01 | 家作り | Comments(4)

子猫

17日の月曜の朝、カッラーラに買い物に行く用事が出来る。月曜日はカッラーラはメルカート(市場)が出る。そのとき生まれたての猫の貰い手を探している団体もいる。
黒猫でなくてもオスの子猫が居たらリンダの相棒にいいかな?なんて考えがふと浮かび仔猫が居る場所へ直行する。最後の一匹が白と黒が混ざった猫で居た。「オスかメスか?」聞いてみたところ「オス」という。黒猫ではないが黒も混ざっているしなんだか勢いでもらう事にする。この仔猫、かなりわんぱくそう。家に連れて帰ってリンダとご対面させるとリンダは仔猫の事もこわいのか逃げ出してします。オリヴィエロがいうには猫が仲良くなるのは時間がかかるという。写真などとる余裕もないくらい私は二匹の猫に振り回されていた。
18日は午後から買い物に出かけていた。夕方5時過ぎに帰ってきた。リンダはいすの上で寝ていて仔猫は机の隅に隠れて寝ている。仔猫を引っ張りだしてきて遊んでいるとやっとリンダが仔猫に近づいて触りだした。戯れてるというよりもちょっと威嚇しているのか、自分の方がボスだといいたいのか本気じゃないけど仔猫に手でやんちゃをするように仕掛けている。仔猫もやり返していたがなんせ体はリンダの方が大きいので逃げたりしていた。そして夕飯のときは一緒にミルクを飲む事が出来た。でもリンダのえさを仔猫が奪いにくるとリンダはおとなしく引き下がって食べさせてあげていた。今日のところはこれでよしとしよう。明日はもっと仲良くなってるでしょう。(願)
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# by galleriaarsapua | 2008-03-18 21:42 | 猫、動物 | Comments(3)

日曜の昼食

今日のPranzo(プランゾ)昼食はイタリア人のお友達を招いて我が家でする事に。今日の日曜も天気はよくありません。雨が今にも降りそうででも降らなくて、時々小雨がぱらついて...春はこんな感じで訪れてくるんですね。
今日のメンバーはSGFという彫刻工房の経営者の一人のパオロ、詩人のフィリッポ、その彼女で陶芸作家のレッラ、おなじみ彫刻家のオリヴィエロです。私が日本食を振る舞いました。イタリア人に寄ってはイタリア料理が一番と思って知らない国の料理を食べるのを敬遠する人も居ますがこのメンバーは目新しいお料理もトライしてくれる人たちなのでイタリア人向けというよりも自分の味で料理しました。
メニューはマグロのちらし寿司、蛸と青ネギのぬた、ほうれん草のごま和え、にんじんとセロリのきんぴら、アサリの吸い物、野菜のかき揚げです。
食事会は2時半から始めました。パオロが午前中畑での仕事があるので少し時間をずらす事にしました。食事が終わって皆、喋る喋る。私のイタリア語力ではこの会話を理解するだけで精一杯。話は芸術論から世界情勢、哲学論や畑についてなどなどとどまる事なく8時半まで続きました。私ももっとイタリア語がんばって皆と一緒に議論し合えたら楽しいだろうな。イタリアに居てもコンピューターのお陰で日本の新聞が読め、日本のテレビまで見れる。そんな生活をしているとイタリアに居ても日本語で生活できてしまう。これはイタリア語を学ぶには非常に危険で、時にはこうしてイタリア人の中に身を置かないといけない。イタリア人と一対一だったら相手は私にあわせてゆっくり話したりするが、イタリア人同士の会話に参加しているとスピーディな生のイタリア語を感じる事が出来るのだなと。今日は6時間イタリア語のヒアリングのレッスンをしたのと一緒だ。山の中で暮らしていると居心地がいいのでついつい引きこもりがちになってしまう。もっと街に繰り出してイタリア人とも交流しなければ。と感じている今日この頃です。
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 パオロが持ってきてくれた畑の野菜。一株直径30cmのカリフラワー
# by galleriaarsapua | 2008-03-17 07:05 | イタリアの生活 | Comments(2)

遥かルネッサンスの時代ミケランジェロも石を求めに通ったイタリア、カッラーラ。大理石の山並みを一望できるところに家を建てたKazuko


by galleriaarsapua