復活
2008年 03月 24日
自分の事もう少し説明しなきゃと思っていたのですがなかなかうまく伝えられなくて....
でもこの復活祭にちなんで書いてみようと思っています。
2001年8月22日、何年かぶりに大型台風が東京に直撃するので朝から大雨風が吹いていた。しかし昼過ぎに台風は東京直撃を避け千葉方面にそれた。雨風のお陰で東京の空気は澄み切り茜色の夕焼けが息をのむような美しさだった。誰もが空を見上げたという。
その茜色に染まった東京の病院の一室で私の最愛の主人は逝った。
私は33歳で未亡人となった。
私の旦那様は私より20歳年上の彫刻家。石の抽象彫刻を専門としていた「知る人ぞ知る」人であった。
彼はその事に満足していた。「分かる人だけが分かってくれたらいい」もしかしたら芸術とはそういうものかもしれない。
私は彼を心の底から尊敬していた。人間として芸術家として。
私たちの結婚生活は3年間。私が結婚したのは30歳のとき。でもこの3年間はそれまで生きてきた30年間と同じくらいの重さがある。
彼は東京生まれの東京育ちであるが美術大学を卒業して1974年に大理石の産地イタリアのカッラーラに渡る。そこで彫刻家としての土台を作った。
その後活動の場を日本にも設け友人の建築家の先生と一緒に彫刻のある町づくり都市再開発なども手がけた。
私と結婚するとき「僕を知るにはイタリアをカッラーラを知ってもらわないと」といって私をイタリアにカッラーラに連れてきた。もちろん私たちの結婚生活の拠点は東京にあった。でもカッラーラにも彼は小さな家を持っていた。夏のバカンスとして2000年私たちは訪れた。彼は私に全て伝授した。彼のお友達、彼の好きな秘密の場所、彼の考え方...
2001年夏、彼は全てを私に遺してそして逝った。享年53歳であった。
それから7年が経とうとしている今、私はカッラーラに住んでいる。
2004年4月、偶然的に新聞の競売の欄で見た一つの家付きの土地を見に行く。
そこは亡夫が愛した大理石の山並みが一望できるパノラマ付きの場所だった。
そして庭には桜が咲いていた。
「天国ってこんなところかな?」「ここに彼の作品を展示したらきっと喜ぶだろうな」
直感的にそう感じた。イタリアに土地を買うなんて考えもしなかったけどその場所を見て興味が湧き競売に参加した。そして私が勝った。
あれから4年間、庭の整備、家の設計、建築許可、工事着工、大工とのやり取り、、、
いろんな事があったけどがんばって来れたのはこの家に日本から亡夫の彫刻を持ってきて庭園美術館のようにする。という信念があったから。そしてカッラーラというまだ名も知られていないイタリアの街を日本の方にも知ってもらいたいし来て頂きたい、その為にも寝泊まりできるところをという気持ちで客室を作って家を設計した。
若いアーティストの方達に発表の場を与えられればと思い展覧会が出来るサロンも作った家がもうすぐ完成する。
ここまでくるのに日本の家族や友人の支え、イタリア人の友人の献身的な支えと助け、どれだけの人に支えられて助けてもらっただろう?決して一人の力ではない。
そしてこの家の完成オープンと同時に私も復活する。
亡き夫が愛した大理石の山があるこのカッラーラで。
この家を建ててる間もとても精神的にリハビリになった。
新しい環境で新しい価値観の中で自分を鍛える事が出来たと思う。
これからもいろんな事が起きると思う。
でも笑いながら苦労を吹き飛ばして不死鳥のように生きていきたい。