私はイタリアに来て、沢山の方に仕事をして頂いた。
家を建てるとき、葡萄畑をつくるとき、葡萄を作るとき、ワインを作るとき、、、
家を建てる時は、大工さんとの、お金のやりとりでノイローゼになりかけた。
見積もりという事が、機能していないのです。
でもそこで自分の中の欠点も見つめる事が出来たし、イタリアを知る事も出来ました。
もちろん、それらを知る行為は、今も続いているのですけれど、、、
今日から、葡萄畑の剪定が始まる。
昨日、葡萄畑を手伝ってくれているアレッシオが来る。
去年から来てくれているイタリア人で、とても有能。
彼になら、葡萄畑をまかせられる、と、心から、出会えた事に感謝していました。
その彼が、年末年始の休暇が終わり、現れたとき、「話がある」とー
聞くと、「前職(船のメンテナンス)の時に知り合った経営者が、新しく船を作る会社を作り、アレッシオの事をアシスタントの時代からみていて、真面目な仕事ぶりをかって、是非とも自分の会社に来てほしい、と、とてもいい条件でスカウトしてきた」とーー
「えーーー、それは困る。私達だって色んなことを考えていて、貴方に戦力になってもらいたいんだよ。貴方だって、この仕事好きだ、って言ってたじゃない!!」って、心の中で叫ぶ。
でも私も、半世紀以上も生きていると、こういう修羅場も幾度となく経験していて、「うー、また来たか!」と原因は自分にある、と思える。
今日、アレッシオにあって、「調子はどう?その後の話はどうなった?」って聞く。
「昨日、相手と話したら、自分が思っている以上に、まだまだいい条件を出してきた」とー
「貴方はどうしたい?」と聞くと、
「ここの仕事は自然にしたがって、とても美しいけれど、、、向こうの条件が良すぎる」とー
「今週中に、返事を出す」という。
今日から、葡萄畑の剪定の仕事が始まるので、私も参加。
黙々と単純作業を繰り返す。
でもこの単純作業が大切で、単純作業に愛情を与えてくれる人が、私には必要。
もちろん、アレッシオはそれが出来る、でも彼はもっと凄い事も出来る。
農業というのは、地道な仕事で、一発でドッカーンって言う儲けは、期待できない。
船の仕事はできるのかもしれない。
アレッシオの事を真剣に考えたら、その船の仕事を断るのは、彼にとって、とても残念な事かもしれない。
彼は、本当に賢くて、そして、惜しみなく肉体労働もし、他人の悪口も言わず、何が大切かも知り、とても優しい。
本当にいい子で、彼のような子供が私にもいたらいいな、って何度も思った。
だからこそ、彼は、もっと自分の可能性を試してみたいんだろうなって思えた。
彼の選ぶ選択を、私は、快く受諾しよう。
もちろん、その後の事を考えると、泣きそうになるけれど、何とかなるさ、って言う自分もいて、我ながら頼もしい。
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