イタリアに定住して、17年。
ということは今回で17回目のパスクア(イースター)を迎えます。
ナタレー(クリスマス)は日本でも、馴染みがあり、12月25日はイエス・キリストの誕生日だということで、日本でもケーキを食べたりお祝いしています。
私が小さい頃からその習慣はありました。
でもパスクア(イースター・復活祭)は、日本では馴染みがありません。
まず、日にちが、定まっていません。
毎年変わります。
どんな基準で決めているのか?イタリア人でも詳しく説明できる人は多くありません。
「パスクアは、パパ(ローマ法王)が決める」なんていい加減なことを、大学教授が言っていたことさえありました。
Wikipedia日本では、日付の所で毎年3月22日から4月25日の間のいずれかの
日曜日と、書いていました。
私のイタリア在住経験と、知識では、3月22日から4月25日の間にある、満月の次の日曜日になる様に思います。
今年のその期間の満月は3月29日でした。ですから、その次の日曜日は、4月4日になるのです。
去年2020年のその期間の満月は、4月8日でした。
そして、その後の日曜日は4月12日で、その日がパスクア(イースター・復活祭)でした。
月によって決めるというのは、何だか、融通が利いていて、その時々の自然の流れに適しているので、それもまたいいな、って思っています。
日本人の私達には馴染みのうすい、パスクア(復活祭)ですが、キリスト教の中では、クリスマス(イエスが生まれたといわれている日)よりも大切だと、言う方もいらっしゃる程大切な日です。
なぜならば、十字架の上で処刑されたイエス・キリストが、死んでから3日経って、蘇った日を祝っているそうです。
先日、「知ってるつもり?」っという日本のテレビ番組をYouTubeでみていました。
世界中の偉人達を詳しく説明してくれていて、いい番組でしたが、終わってしまっていたようです。
その最終回が「イエス・キリスト」でした。
キリスト教でなくても、イエス・キリストのことは、知っていますよね?
でもその十字架にかけられるまでの経緯や、十字架の上で死ぬということの過酷さなど、本気で考えたことはあったのだろうか?
と思いました。
まず、イエスは、十字架で処刑される程の罪はおかしていません。
ここで語るには、時間がかかりすぎるので、割愛しますが、些細なことから、発展して、とらわれてしまいました。
そこには、間の悪さ、身近なもの達の裏切り(?)、そして、何も分からない人たちの日頃のうっぷんを晴らすかの様に、無責任な責心。
だけど、2000年以上経た今、言えることは、それもこれも全て、神様が仕組んだ、いえ、イエスと神様の、約束だったのかもしれません。
あの強烈な死を、受け止めて、なおかつ、自分を殺そうとしている人たちのことを、「神よ、このものどもを許したまえ、このものどもは、自分の行っていることを分かっていないのです」と、祈ったそうです。
十字架の上でなくなるというのは、なかなか簡単には死ねないそうで、最も苦痛を伴うようです。
もしかしたら、マリーアントアネットのギロチンの方が、まだましかもしれません。
でもイエス・キリストが、キリスト(神我)になれたのは、その生き様、死に様によるものなのでしょうね。
そんな死に方をしたイエスが、3日後に復活したそうです。
科学的には死んだ人が、生き返ることは、不可能に思いますが、その魂が、復活したのでしょうね。
そして2000年を経た今も、イエスの教えは生き続けているということは、イエスは死んでいないのでしょう。
明日はそんな意味も込めた、復活祭。
毎年、日にちが変わるのも、星回り等で、一番パワーのある日が、選ばれているのかもしれません。
復活するエネルギーが、明日にはあるのかもしれません。
皆様に、「Buona Pasqua(よい復活祭を!)」
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