オリヴィエロ展覧会「Nihil Sub Sole Novun」について

展覧会のタイトル Nihil Sub Sole Novum (太陽の元に新しいものは何もない)*古代イスラエルのソロモン王の言葉を引用ーはもう既に展覧会のいいたい事を伝えています。

この文章には地球に人が存在したときから現在まで テクノロジーは開発されて進歩し生活様式は変わり続けて居ますが人間の本質(特に欠点)は変わっていないという事を表現しています。

ヨーロッパではこの言葉を人間同士の付き合いでがっかりしたときによく使います。

オリヴィエロはこのコンセプトを1600年のイタリアバロック美術の技法を使って表現しました。

バロック美術は金の装飾を使ったりして富や豊かさの象徴の表現法を使っていて この世の中の最底辺にある押しつぶされそうな貧しい状況の人々とは対称な所にあります。この世はバビルの塔の時代のときの様に富を求める事だけに人々は関心を持っているという現実のなか、富と貧困、白と黒の様に対比的なものを見る事でベルトラーゾの作品、世界を理解できます。






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オリヴィエロはキリスト教の図像を使っているのはこの対称を表現したかったからです。
彼自身は宗教を反対している訳でも批判しているのでもない。
作者オリヴィエロはこのキリスト教の社会の背景で生まれ育ってきました。
しかしオリヴィエロはこの社会に対して批判的な意見を持ち続けていました。
ローマ時代から今までの間、時代とともに権力者は変わってきましたが唯一の変わる事なく時代の証人者として居続けたのが教会であってオリヴィエロはその教会を批判するというよりも教会を時代の証人として使います。

〜つづく



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by galleriaarsapua | 2015-05-25 03:28 | 彫刻

遥かルネッサンスの時代ミケランジェロも石を求めに通ったイタリア、カッラーラ。大理石の山並みを一望できるところに家を建てたKazuko


by galleriaarsapua