無原罪の宿り〜Immaculata Conceptioの日
2014年 12月 09日
1、原罪の汚れととがを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義
2、無原罪懐胎(むげんざいかいたい)とも。
無原罪の御宿りの教義は、「マリアはイエスを宿した時に原罪が潔められた」という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」とするものである。
前提として、カトリック教会において原罪の本質は、人がその誕生において超自然の神の恵みがないことにあるとされる[2]。
キリストは原罪を取り除く者であり、マリアはキリストの救いにもっとも完全な形で与った者である。ルカによる福音書1:28にある「おめでとう、恵まれたかた」と天使から聖母マリアが言われたことには、原罪とは逆の状態、すなわち神がともにおられるという恵みが特別にマリアに与えられていることが示されているのであり、マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているとされる。
こうしたことから、マリアが存在の初めから神と一致し生涯と死を通じて人のいのちの完成に至ったこと、人類に対するキリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れであるとし、そのことを示す二つの教義が無原罪の御宿りと聖母の被昇天であるとされている。Wikipediaより〜
12月8日はインマクラータ=無原罪の日。
聖母マリアは罪のない清らかな人であったからイエスキリストのような神の分身を宿る事が出来たという日です。
なるほど。。。
キリスト教ではないけれど納得。
母の力は偉大でやっぱり素敵な母からは素敵な方が生まれるというのは納得できる。
偉大な人物の後ろには偉大な母がいた様にーーーですね☆
自分には子供がいませんしもう持つ事もないと思います。
でもこう見えても実はちょっと完璧主義な私(私を知っている人、笑わないで〜)
もし自分に子供がいたら凄い完璧を求めたりしていい母に成れた自信はありません。
子供を産む、そう、出産する行為こそ、実は全女性の夢なのではないかと40歳前の危機感を持った未出産の女性(私の事)は悟ったのでした。
イエスキリストを生んだマリア様。
凄いね。でもイエスキリストの十字架に貼付けられて処刑された所も見たのですよ。
ただでさえ子供が親より早く死ぬのは親不孝といわれているのに
神様のような子供が処刑される姿を母親が見るというのはどんな気持ちなのでしょう?
別に悪い事をした訳ではなくて、いえいえとってもいい事をしていた息子が理にかなわない理由で処刑されるのです。
気が狂いそうになりますよね。普通の母親ならば。
聖母マリア様は本当に素晴らしい魂の持ち主だったのだと思います。
キリスト教ではない私ですけれどイエスキリストとその周りの人間にはとっても興味があります。
いきなりキリスト教入門を開く気は申し訳ないけれども全くありません。
それよりもやはり宗教という物に対して疑問をやはり持ち続けていて払拭する事が出来ずにいます。
そんな無原罪のマリアの今日の日はとってもいいお天気でした!!
昨日と同じ様にまたソムリエのお手伝い。
途中、用事があり抜けましたが今日は天気もよかったので昨日よりも通行人も増していたような気がします。
街はクリスマスのイルミネーションがきれいです。
もうすぐ2014年も終わりますね。
でもまだ2014年、もう少しその余韻を噛み締めましょう。
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