知ってるつもり? 〜南方熊楠

白浜で衝撃的な出会いがありました。
本当にこんな日本人男性がいたんだな。。。って嬉しくなりました。

知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_56244.jpgその方は南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者である。南方熊楠は和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めた。多くの論文を著し、大学者として名を知られたが、その生涯を在野で過ごした。
彼の学問は博物学、特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、曼荼羅のような知識の網が産まれた。〜wikipediaより






知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_585867.jpg「白浜にクマクス記念館がありますのよ。明日行きましょ!」といわれ「kumax?っていう会社の記念館があるのかしら?」なんて無知な私はそれがひとの名前とは知らずに門をくぐるのです。

知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5133588.jpgなんだか日本じゃない熱帯林の中庭を抜けていきます。植物や粘菌学の博士だったらしいのです。

知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_515569.jpg中に入ると南方熊楠の人生のVTRを見せてもらう。子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だった。また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという卓抜した能力をもっていたそうです。
知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5162432.jpg小学校のとき友達の家からかりてきた『和漢三才図会』105巻81冊を記憶して筆写を始める。
知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5203367.jpg
1884年(明治17)大学予備門(現、東京大学)に入学するも学業そっちのけで遺跡発掘や菌類の標本採集などに明け暮れる。同期に夏目漱石や正岡子規がいた。1886年退学し12月渡米。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5242955.jpg1887年熊楠
1月7日 - サンフランシスコ着。パシフィック・ビジネス・カレッジに入学しますが退学し 8月 - ミシガン州農業大学(ミシガン州ランシング市、現・ミシガン州立大学)入学。1888年(明治21年) - 寄宿舎での飲酒を禁ずる校則を違反して自主退学。ミシガン州アナーバー市に移り、動植物の観察と読書にいそしむ。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_525156.jpgこの頃、科学雑誌「ネイチャー」の購読を始め数々の洋書を購入する等により自らの学問は着実に進んでいました。そしてこの頃手書きの回覧新聞「珍事評論」を発行しています。サンフランシスコ、ミシガン州ランシングとアナーバー、フロリダ、キューバとアメリカを横断し1892年9月イギリスに渡る。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5321034.jpgロンドンに着いた数日後、弟からの便りで父の死を知る。その年は博物館や植物園巡りやハイドパークへ最終に出かける日々が続くが翌年「ネイチャー」に星座についての質問状があるのを見て熊楠は論文を起こします。これは1893年10月5日「東洋の星座」として掲載されました。そしてこの時期熊楠は大英美術館の美術員であるフランクスに面会しその部下リードとともに異例なまでの処遇を受けます。そのおかげで熊楠は大英美術館で思うのまま学問に打ち込む機会を得る事が出来たのです。ここで52巻にのぼる「ロンドン抜書」を作り上げ1900年に帰国するまでの間30編近くの論文が科学雑誌「ネイチャー」に掲載されました。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_538679.jpg1897年(明治30年) - ロンドンに亡命中の孫逸仙(孫文)と知り合い、親交を始める(孫文32歳、熊楠31歳)。
翌年、大英博物館で暴力事件をおこす。1900年(明治33年) - 大英博物館から出入り禁止の処分を受ける。14年ぶりに日本に帰国。1901年(明治34年) - 孫文が和歌山に来訪し、熊楠と再会して旧交をあたためる。(その時の写真)


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5424537.jpg和歌山田辺を居住の地と決める。1906年、明治39年、南方熊楠40歳の年神社合祀令が出される。それはか官社、府県社、郷社、村社、無格社といった神社の系列化の中で村社、無格社の大整理を意味した物である。
南方熊楠は庶民の生活に結びついた神社の合祀により伝承されてきた民俗が絶えまた神社を中心とした自然の生態系が破壊される事を恐れ果敢に反対する。





知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5415526.jpgその反対運動により大正9年神社合祀令は終息する事になる。南方熊楠54歳の年である。和歌山に残るふるい社で南方熊楠の反対運動により廃滅を逃れた物は少なくない。

知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5411116.jpg田辺湾に浮かぶ神島は合祀されたが熊楠は国の天然記念物指定に尽力し今日に昔の姿を残している。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_55257.jpg昭和4年(1929年)に南方熊楠(1867年~1941年、当時63歳)は、昭和天皇へ粘菌学などを進講。熊楠が保護に努めた田辺湾に浮かぶ神島(かしま)に天皇を迎え、御召艦長門上で進講。キャラメル箱11個に収めた粘菌標本110点を熊楠が進献しました。写真中央がその時のキャラメル箱。天皇は最初びっくりしたが「これでこそ科学者だ!」と絶賛したそうです。


知ってるつもり? 〜南方熊楠_d0136540_5564087.jpg
昭和37年(1962年)、昭和天皇は南紀行幸した折に白浜の宿から神島を眺め、33年前に出会った熊楠を追憶し、歌を詠みました。
「 雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

天皇が民間人を思って詠んだ歌は初めてだそうです。豪快な南方熊楠、こんなひとがいたんだ。。。



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Commented by wakako at 2012-01-19 13:47 x
イタリアから来られて とても珍しい所にいらしたのですね!
私も一度行ってみたいのですが 機会がなくて・・・
確か 小学校の国語の教科書に出ていますよ。私の子供達の頃の!今は如何ですかね?それで 私は知りましたよ。
↓↓↓徳島のびんび屋 昔いきました。鯛のアラの煮つけを食べましたが オイシー!
別の件ですが 8月は和子さんのお仕事の方が大忙しですね!
Commented at 2012-01-19 16:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tom at 2012-01-19 17:20 x
私がヨーロッパに来る直前に、父が、南方熊楠の史跡を巡りたいといい、母と3人で旅行をしました。 その時の私もクマクス???という感じでしたが、 その天才さ、多様さ、深い洞察力、手広い関心に圧倒され、感動しました。 しばらくクマクスおっかけ?でいろいろと調べました。 一度テレビでも取り上げられたことがあって。  その時の父との旅行を懐かしく思い出しました。 
Commented by galleriaarsapua at 2012-01-20 06:14
*wakakoさん、こんにちは。
本当に思いがけない出会いで衝撃的でした。
白浜って自然もきれいでいい材料は揃っているのですが交通の便の悪さもあってかなぜだか寂れています。
国語の教科書に載っていたのですね、納得。
ノーベル賞級だと思いました。
徳島のびんび屋、有名ですね。私の大阪の知り合いもいった事あるといってました。
8月、色んな事がんばりたいです!メールしました。
Commented by galleriaarsapua at 2012-01-20 06:16
*鍵コメ,at 2012-01-19 16:57さま、こんにちは。
はじめまして。
鍵コメさんも沢山文献を集めたのですね。
おっしゃるように絵も素晴らしいですよね。
記念館、機会があれば是非!南国和歌山だからこんな豪快な男が生まれたのかな?なんて思ったりもして。。。
はい,衝撃的な出会いだったのです。
それが伝わったようで嬉しいです。
Commented by galleriaarsapua at 2012-01-20 06:20
*tomさん、こんばんは。
そうだったのですか!お父様たちと熊楠の史跡巡りをされたのですね。。。
こちらにもいかれたのですね。
私は本当にここにいくまで存在すら知らなかったのですが結構、皆知っていてテレビでもやはり取り上げられているらしいですね。
お父様との旅行を懐かしく思い出してくれて嬉しいです。
Commented by Shige at 2012-01-24 14:46 x
Kazukoさん、こんにちは。
友人の職場の後輩に、南方熊楠のご子孫の方がおられます。
その名も南方さんです(笑)
昔ご本人に、珍しい苗字なので関係があるのか質問したところ、
一族であることがわかり驚きました。
彼は、熊楠の面影があるイケメンですよ(笑)
先日の中西俊博さんの件といい、世間は狭いですね。
Commented by galleriaarsapua at 2012-01-25 04:21
*Shigeさん、こんにちは。
えー、そうなんですか?
もしかしてその方、医療従事者ですか?
私の姉がそうでご子孫の方がいるといってまして。。。
まあ子孫といっても一人ではないのでしょうけれど。。。
熊楠さん、イケメンですよね〜。
Shigeさんといろいろ接点ありますね。
Shigeさんはどんなひとかしら?
Commented at 2012-01-25 19:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by galleriaarsapua at 2012-01-26 03:26
*鍵コメat 2012-01-25 19:03さま、こんにちは。
関西出身なのですね。
大阪湾沿いは地中海沿いの人と同じくラテン系だと思っています。
いろいろ詳しく誠実にお仕事の紹介ありがとうございます。
ご紹介くださった番組、you tubeで少し見ました。
興味深いです。
立派なお仕事、やりがいもありますね。
お身体に気をつけてお仕事がんばってください。
by galleriaarsapua | 2012-01-19 05:57 | giappone(日本) | Comments(10)

遥かルネッサンスの時代ミケランジェロも石を求めに通ったイタリア、カッラーラ。大理石の山並みを一望できるところに家を建てたKazuko


by galleriaarsapua